2010.08.07 14:00~14:59
ケルティックライブ
吹け、ケルトの風
アイリッシュバンド・みゅーず
四条木屋町を上がったところ、高瀬川のほとりに「みゅーず」という素敵な名曲喫茶がありました。昭和二十九年創業と言いますから、かれこれ半世紀になる老舗カフェでしたが、2006年5月8日をもってその歴史を閉じました。春には高瀬川沿いの満開の桜並木を眺めることのできる、京都でも有数のロケーションを誇るカフェでした。
今を去ること数年前、この名曲喫茶の前の高瀬川に架かる橋の上で、ひとつのアイリッシュバンドがストリートライブをはじめました。しばらくのちに、とある団体からデモテープの提出を求められることになり、バンド名を付けなければならなかったのですが、ストリートライブをやっている時、背後に名曲喫茶の看板があったので、それをバンド名にしたのが、陳五郎と大城敦博のアイリッシュバンド「みゅーず」の名称の由来です。
ミューズはギリシャ神話の九人の女神たちの名前(ギリシャ語ではムーサイ)です。歌舞音曲に長けた美しい娘たちを欲したゼウスが女神ムネモシュネに生ませた、藝術家にインスピレーションを与える女神たち。ミューズはもともと藝術全般の神でしたが、次第に音楽の神とされるようになり、言うまでもなくこれがミュージック(ムーシケ)の語源です。
陳五郎(guitar)
京都市出身。元々はブルースのギターマン。ブルース歴三十余年。ブルースのルーツにケルト音楽があるという説を調べている過程でケルト音楽に出会い、アイリッシュバンドのメンバーになる。
大城敦博(fiddle)
沖縄出身のバイオリン/フィドル奏者/講師。
クラシックをバックグラウンドに持ちながら民俗音楽にも造詣が深く、様々なミュージシャンと共にアイリッシュ、ブルーグラス、沖縄音楽、ジャズなど多様なジャンルでライヴ活動を行なっている。
(注)Photo提供:三輪 雅敏
今を去ること数年前、この名曲喫茶の前の高瀬川に架かる橋の上で、ひとつのアイリッシュバンドがストリートライブをはじめました。しばらくのちに、とある団体からデモテープの提出を求められることになり、バンド名を付けなければならなかったのですが、ストリートライブをやっている時、背後に名曲喫茶の看板があったので、それをバンド名にしたのが、陳五郎と大城敦博のアイリッシュバンド「みゅーず」の名称の由来です。
ミューズはギリシャ神話の九人の女神たちの名前(ギリシャ語ではムーサイ)です。歌舞音曲に長けた美しい娘たちを欲したゼウスが女神ムネモシュネに生ませた、藝術家にインスピレーションを与える女神たち。ミューズはもともと藝術全般の神でしたが、次第に音楽の神とされるようになり、言うまでもなくこれがミュージック(ムーシケ)の語源です。
陳五郎(guitar)
京都市出身。元々はブルースのギターマン。ブルース歴三十余年。ブルースのルーツにケルト音楽があるという説を調べている過程でケルト音楽に出会い、アイリッシュバンドのメンバーになる。
大城敦博(fiddle)
沖縄出身のバイオリン/フィドル奏者/講師。
クラシックをバックグラウンドに持ちながら民俗音楽にも造詣が深く、様々なミュージシャンと共にアイリッシュ、ブルーグラス、沖縄音楽、ジャズなど多様なジャンルでライヴ活動を行なっている。
(注)Photo提供:三輪 雅敏
受賞歴
2000年『オールジャパン天橋立ミュージックフェスティバル』優勝(陳五郎)
主な活動
京都河原町二条アイリッシュパブ”ノーム"(地下鉄市役所前下車)
Irish PUB field (地下鉄御池駅下車)
Irish PUB field (地下鉄御池駅下車)
コメント
ケルティックウーマンのケルティックって何?
ケルトのことです。
※「ケルト」とは、紀元前1200年頃、東部ドナウ川流域周辺を中心に広くヨーロッパ全域に存在したとされる民族文化のことである。古代ヨーロッパにおいて青銅器時代も終わりを告げようとする頃、すでにケルト人は鉄器を使用していたという。「ケルト人」とは、古代ギリシア人が、西方ヨーロッパにいる異民族を「ケルトイ」と呼んだ事から由来する名称で、これは共通の言語ケルト語を話し、共通の宗教文化を所有する文化集団を指す言葉で、人種のことをいうのではない。ローマ人は、彼らのことを「ガリィ(ガリア)」と呼んだ。
ケルトの起源は、紀元前6000年頃と考えられる。ケルトという統一的文化集団が、いかにして出現したかは紀元前6000年から紀元前50年頃にかけてのヨーロッパにおける考古学的考察にゆだねよう。さまざまな出土品から当時の人々の生活をあれこれ空想することこそ、歴史のロマンの醍醐味といえる。※
※みゅーずのサイト『ケルトとは~ケルトの起源』より引用
アイリッシュバンドみゅーずによるケルトの世界をお楽しみください。
ケルトのことです。
※「ケルト」とは、紀元前1200年頃、東部ドナウ川流域周辺を中心に広くヨーロッパ全域に存在したとされる民族文化のことである。古代ヨーロッパにおいて青銅器時代も終わりを告げようとする頃、すでにケルト人は鉄器を使用していたという。「ケルト人」とは、古代ギリシア人が、西方ヨーロッパにいる異民族を「ケルトイ」と呼んだ事から由来する名称で、これは共通の言語ケルト語を話し、共通の宗教文化を所有する文化集団を指す言葉で、人種のことをいうのではない。ローマ人は、彼らのことを「ガリィ(ガリア)」と呼んだ。
ケルトの起源は、紀元前6000年頃と考えられる。ケルトという統一的文化集団が、いかにして出現したかは紀元前6000年から紀元前50年頃にかけてのヨーロッパにおける考古学的考察にゆだねよう。さまざまな出土品から当時の人々の生活をあれこれ空想することこそ、歴史のロマンの醍醐味といえる。※
※みゅーずのサイト『ケルトとは~ケルトの起源』より引用
アイリッシュバンドみゅーずによるケルトの世界をお楽しみください。